一日生きることは一歩進歩することでありたい

今朝、ランニングをしようと思ってマンションを出たところで近所をうろつく幸運のデブ猫に出会いました。素晴らしい一日の始まりを予感させます。いつものようにデブ猫とじゃれ合いました。相変わらずな鈍重な動きは朝から僕を癒してくれます。

すると、彼(彼女?)が急に起き上がって、隣のマンションの玄関先までダッシュして行きました。デブ猫とは思えない俊敏な動きです。そしてマンションの玄関の天井を睨み付けています。追いかけていって、彼の視線の先に目をやるとツバメの巣がありました。

その巣はまだ作成段階で、二匹のツバメが代わる代わる巣の材料を運んできます。巣の近くにツバメがいないときは、デブ猫は僕のところに戻ってきて地面に自分の身体を擦り付けます。そして、どちらかのツバメが巣に戻ってくると、また跳ね起きてツバメの巣の下までダッシュして行きます。

今日は朝からふたつの本能を観察することができました。ひとつは、猫科の動物に備わる狩猟本能。もうひとつは一部の鳥に備わる帰巣本能です。ふたつともとても神秘的な本能です。人に飼われて丸々太ってしまったとはいえ、彼の内なる猫科の火は消えていません。また、何百キロという旅路の果てに、自分が育った場所に戻ってくるツバメの力はとても神秘的です。

さて、我々人間にはあまりこれといった本能が備わっていないように思います。先ほどのふたつの本能は彼らが生きるために備わっている先天的なものです。デブ猫に限っては、狩猟本能が備わっていなくても生きていけそうですが、飼い主がいなくなったときはその限りではありません。

人の場合は生まれてから死ぬまで、なにか先天的な技術が備わっていないと生きていけないような環境にはないので、これといった本能が備わっていないのかも知れません。強いていえば、赤ちゃんがお母さんの乳房に吸い付くくらい?あれは本能?いずれにせよ、本能行動という観点から見ても、人間は他の動物とは違う特別な動物のような気がします。



ピーター・リンチという高名な投資家がいます。彼はフィデリティのファンドマネージャーで、徹底した企業分析に基づく長期投資により、同社のマゼランファンドを世界最大の株式ファンドに仕上げたことで有名です。彼には投資に関する様々な格言があります。今日はそのなかでも僕の好きな格言を紹介します。

日々の生活から見つける

ピーター・リンチは個人投資家は株式投資によってファンドマネージャーよりも利益を出すことができると言っています。その心は、個人投資家は日々の生活のなかで良い投資先を見つけることができるということです。実際、彼は家族と外出しているときや買い物をしているときなどに投資対象を直感的に見つけだし、それを論理的に検証したようです。

これは研究にも通じるところがあると思います。ふたりの大学院生におなじ実験結果を見せても、ふたりの考察の深さには明らかな違いが出てきます。深い考察ができる学生というのは、現象を考察するための道具を多くストックしており、どの引き出しを開ければ最適な道具が出てくるか分かっている学生、また、教科書などには載っていないけれども、現象を論理的に説明できるシナリオを徹底的に自分の頭で考えようとする学生です。

とくに投資においては後者の能力が重要になってくるようです。マーケットはランダムウォーク理論に支配されており、マーケットは効率的であるとする効率的市場仮説というものがあります。誤解をおそれずに言うと、株の値段は一歩進めば一歩下がっているということです。実際に、過去20年間の日経平均の価格変動分布はほぼ対数正規分布になっています。これは日経平均に限らず、先進国の主要マーケットであれば成立します。もし価格変動分布が“完全に”対数正規分布しているのであれば、投資は完全に博打です。

ところが、細かく見てみると価格が上昇する頻度が、対数正規分布で規定されるよりも少し高めになっています。これはファットテール構造と呼ばれています。こうした構造の存在は何らかの非効率が市場に存在していることを意味しています。さらに、これは十分な調査や分析によって市場のミスプライスから収益を上げることが可能であることを意味しています。

しかしそれは容易なことではありません。一流の頭脳を持ったプロフェッショナルがそのわずかな収益機会を奪うために、高度な情報インフラや複雑なモデルを駆使し、最新兵器を持って戦っているのです。また、企業の収益予測モデルにも流行り廃りがあるようですが、このような戦場では、自分なりの収益予測モデルを考えることが重要であるようです。つまり、敵に差別化を図るための自分の“独自性(=エッジ)”が必要となります。

それは自分だけが知っている情報(インサイダーを意味するものではありません)であったあり、現象を深く掘り下げて考えることができる力であったりします。例えば、ふたりのアナリストがIRや工場の従業員にインタビューしても、どれだけ相手のことを理解しているかで質問の内容や深みが違ってくるため、返ってくる答えは違ってきます。また、金融政策の話になりますが、ロシア危機のとき、FRB議長であったグリーンスパンは、普通の投資家が注目することのないようなマーケット情報を駆使し、合計0.75%の利下げを断行しました。

ただし、グリーンスパンのように、自分の独自性(=エッジ)を発揮することは極めて困難です。しかし、独自性を発揮するためのヒントが冒頭のピーター・リンチの言葉のなかに隠れているような気がします。つまり、普段からアンテナを張り巡らせ、些細なことからも何かを学び取ろうとする姿勢が重要なのではないでしょうか。そして、自分の頭で徹底的に考え、借り物ではない自分の言葉で語ることが重要なのではないでしょうか。

普段からのそのような小さな差が大きな差に繋がってきそうですね。





最近更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。一部の方々から早く更新して欲しいとの催促を受けていたのですが、自分の研究や後輩の研究の指導などで時間が分断されてしまい、ブログを更新するまとまった時間が取れませんでした(ただの言い訳…)。

松本大さんや岩瀬大輔さんのように会社の重要な意思決定をしなければならない方々が、毎日ブログを更新されているのはとても凄いことだと思います。継続する力、情報を収集する力、小さな出来事からでも示唆に富む考察が出来る力、自分の考えをコンパクトにまとめる力、どれをとっても凄いな〜と感心します。

さて、先日、会社の懇親会に行ってきました。懇親会が終わったあと、同期の間で必ずすることは、お疲れ様メール、お礼のメールです。日系の企業に比べて内定者がとても少ないため、携帯メールで全員と等しくコンタクトを図ることが出来るのはとても素晴らしい点です。

メールには個人の性格が現れます。とくに、PCメールではなく携帯メール、さらに、先輩へのメールではなく同期へのメールということで、文章に絵文字や顔文字を入れ放題になるので、個性がいっそう際立つ内容になるようです。以下のように色々な切り口からまとめることができます。

【志望部署による分類】
●セールス、マーケッター志望の同期
  ― 文型の人(今年で22才組)
     ⇒ 絵文字、顔文字などを効果的に取り入れ、躍動感のある内容。

  ― 理系の人(今年で25才組)
     ⇒ 絵文字、記号(♪、☆など)を適度に取り入れ、安心感のある内容。

●運用志望の同期
  ― MBAの人(今年で25才組)
     ⇒ 絵文字なし。記号+ユーモアを適度に取り入れ、安心感のある内容。

  ― 理系の人(今年で25才組)
     ⇒ 絵文字、記号、顔文字なし。改行を多用、速読できる必要最小限の内容。

●テックの同期
  ― 理系の人(今年で22才組)
     ⇒ 絵文字、顔文字、さらにはデコメを不断に取り入れた女の子らしい内容。

【年齢による分類】
●22才組
  ⇒ 絵文字、顔文字、デコメを有効的に使う。

●25才組
  ⇒ 高々、記号を適度に使う程度。

【性別による分類】
●男性
  ⇒ デコメを使わないことは共通。それ以外は人それぞれ。

●女性
  ⇒ 絵文字、記号、顔文字、デコメの合わせ技。メールの達人感あり。

以上、こんな感じです。

ちなみにボクは運用志望で理系の人です。メールの内容が簡素すぎることが祟って、彼女に怒られたことが何回かあります。また、先日、後輩の女の子とご飯を食べに行ったのですが、メールの内容が簡素すぎて怒っているのかと思った、と言われてしまいました。上の切り口から考えると、これらは年齢の違い、性別の違いから来る誤解です。

一方、自分がメールを受けろる側となるときは、読みやすいメールにしてくれるのが嬉しいのですが、やはり絵文字や顔文字が入っていたりすると嬉しくなったり、心温まったり、その使い方に感心することがあります。というわけで、これからは、できるだけ一件のメールにひとつかふたつの絵文字を入れるように心がけようと思います。

以上、久しぶりのエントリでした。

新学期が始まりました。今年度で大学院を卒業する予定なので、「大学生活でやり残したことないかな〜学生生活でしか出来ないことないかな〜」 と色々考えていました。よく考えた結果、残り大学生活でやるべきことは勉強と研究という結論に至りました。まさに学生の鏡です。もちろん息抜きも忘れずにということで、夏には二週間のヨーロッパへの一人旅も計画しています。

大学院一年生のときに修士論文以外の卒業単位は揃えてしまったのですが、勉強の一環ということで、今年度も授業を履修することにしました。

以下、その講義の概要。

【食品生産工学特論】
遺伝子組み換え作物などを利用する食品素材の変換・作製技術・ならびに食品の物理科学的生産・加工技術を俯瞰し、新たな概念の食品を創生する手法を講義する。

【生体反応有機化学】
生命有機化学(生体現象を有機化学的な手法を用いて解析する学問分野)の基礎と最近の進歩について講義する。

【企業再建論】
不振企業の改善策は、現在業績を上げている企業の改善策にも大きなヒントになります。多くの場合、業績がおおきく悪化しないかぎり、抜本的な対策を打てないのが実情ですので、不振・破綻企業の実例をみることにより企業再建に関する多くの知見が得られます。

講義の内容をしっかりとモノにするため、あまり多くの講義を取らないことにしました。

これらの講義を取ることにした理由は、自分の関心があることはもちろんですが、これらの講義を担当する教官が教育に対して真面目であることです。講義は限られた期間内で学生が必要な知識を吸収できるように設計されています。また、学生の視点に立って説明してくれるので、講義も対話型のものが多く、かつ分かりやすい内容になっています。

さて、京都大学の講義というものはクソ眠くなるような講義がほとんどです。大学に入学した新入生も始めは期待に胸をふくらませて、シラバスを片手に授業に向かうのですが、講義を聴いて、面白くない内容をさらに面白くなく、難しい内容をさらに難しく説明するKYな教授に辟易し、ゴールデンウィーク明けには出席必須の講義以外はほとんど出席しません。

そもそも、大学の教官の仕事は「研究」と「教育」です。その教育の一環が講義です。適当にやっていて良いはずがありません。また、教育が適当であることを、「自由の学風」というもっともらしい言葉ですりかえて、「京都大学の原点は自由の学風にあり、この自由な学風こそが数々のノーベル賞の輩出に寄与している」と主張する教官がいますが、毎年2500人も頭の良い人が入学してきたら、10〜15年にひとりくらいノーベル賞を取る人がいてもおかしくないと反論したいと思います。そもそも自由な学風がノーベル賞に寄与しているという根拠はまったくありません。

また、京都大学は東京大学のアンチテーゼ的な存在として、研究に対する姿勢は世の中の流れに迎合するものではない、という学風も存在します。確かに、世の中の流れに迎合するばかりでは、大学の主要な役割のひとつである 「基礎研究」 を行うことはできませんが、世の中の流れに背を向けすぎても、肝心の基礎研究を行うことはできません。

そして、最近、京都大学の「自由の学風」が一般の受験生にも悪いように解釈され始めているようで、頭の良い受験生は京都大学を避けて東京大学を受験する傾向にあるようです。このような状態では、もはや京都大学は色々な要素においてジリ貧の状態になって行きそうです。

もし、自分の子供が受験生になって

「東京大学と京都大学どっちが良いかな〜」

って聞かれたら

「たぶん東京大学のほうが良いんじゃない。でも、オレは京都大学での六年間は人生の宝だって胸を張って言えるけどな。てか、どっちが良いかなんて自分で考えろ!」

って答えそうです。

昨日は全国各地で入社式が行われたようです。僕の研究室にも明日から新しい後輩が入ってくるので、春休みで閑散とした研究室に彩りを添えてくれることでしょう。先日、僕の友人のタピオカくんのブログで新入社員に向けたアドバイスが紹介されていましたが、なるほど、新入社員や新入生が先輩と良好な関係を築くことはとても大切なことだと思います。

僕も今年度で大学院二年生に昇格してしまい、研究室では古株になってしまいました。たしかに、先輩から後輩に声を掛けて良好な関係を築くことも必要なことですが、僕は基本的には後輩から先輩に声を掛けるべきだと思います。特に、僕は来るものは拒まないので、積極的に話してくれる後輩が好きです。

基本的に来る者拒まずなのですが、僕にとっての理想の後輩像というものがあるので列挙します。

1.日常生活に潤いを与える情報を教えてくれる
  ⇒レストラン、勉強、音楽、スポーツ、旅行、本など

2.内なる情熱を秘めている
  ⇒ふだんはテンション並、ときどきテンション大盛

3.YESマンではない、積極的に議論する
  ⇒「はい」、「そうですよね〜」ばかり言わないで
    
4.適度な失礼さ
  ⇒(先輩に対する態度)∧(同期に対する態度)くらいの感じで接してほしい

(おまけ、for women)
5.可愛い
  ⇒僕もひとりの男です

こんな後輩が来てくれたらいつでもご飯おごります。